祭事について
人皇第103代後花園院の御宇嘉吉2年(1442年)に国家安全、五穀豊穣、人畜平安の祈願として、
旧宮地の浮殿に神輿で行幸され、式三番の神楽を奉納し、氏子の村々からは、笠鉾のお供がありました。
それから、156年を経て人皇第107代後陽成院の慶長二丁酉年(1597年)、
行幸の祭を改め方生会と唱え、村々からは、鉾山を出す事に改まり、
前日には、鉾山に幟ばかりをたて、鉦太鼓を鳴らして瀉中にかきだして汐をかき、村々に引き取るようになり、
現在の形になったとされております。昭和48年に福岡県より無形文化財(後に無形民族文化財)に指定されました。
苅田山笠の特徴としましては、山笠が3度その姿を変える事があります。各区の当場に組み立てられた山笠は、
まず、「灯山」(提灯山笠)として夜の街を彩り、神幸祭も前日の汐かきの際には、
赤色の幟を飾り立てた「幟山」に姿を変えます。
そして、神幸祭当日には、紙張りの岩を積み上げ、御殿・ホテ花・スダレを飾りつけ、
人形数体を使ってきらびやかな演劇の場面を現出させた勇壮な「岩山」に姿を変えます。
この「岩山」には、神が降臨してくる際の磐境(場所)にあたる紙張りで積み上げられた岩と、依代(物)にあたる
ホテ花があり、この姿はかなり古く貴重なものであるとされている。
神幸祭当日の山笠運行神幸祭当日には、神輿は宇原神社から所定の行列で、
元来御祭神が天降り、初めて祭を受けた場所である旧宮所の浮殿の地、
いわゆる神事場の御旅所に行幸しこの神幸により神を遷し奉る。
それに伴い氏子14区(雨窪・西町・本町・中町・上町・提(長畑区含む)・港・濱・馬場・南原・集・尾倉・与原下・与原上)では、
そのお供として14基の山笠をだします。
神事場に勢ぞろいした山笠は、帰還する神輿とともに各区へ還っていきます。
帰路に着いた山笠同士をぶつけあい苅田山笠はクライマックスを迎えます。
重さ3〜5トンの山笠がぶつかりあう勇壮な様は、通称”ケンカ山笠”として有名です。
【山笠保存会資料】より
日程について
(※年度により週・曜日等異なります)
9月末 第3or4土曜日の深夜「鉦卸し」の神事よりはじまり
翌週or翌々週 火曜日・木曜日 灯山運行(※年度により週・曜日等異なります)
大祭前日の土曜日 汐掻きの神事
10月第1日曜日 大祭 となっております(※雨天順延の場合翌月曜日)
光國會






